新柳井原橋 開通!-小田川作業所

こんにちは!小田川作業所です。今回はOK田が現場レポートをお伝えいたします!

今年もジメジメ蒸し暑い日が続いたり突然の豪雨にびしょ濡れになったりとこれぞ夏と言わんばかりの気候でしたね。

9月になって少しづつ秋の風を感じれるようになった気がします。

しかし、まだまだ日中は暑いので仕事終わりの麦とホップ黄色のドリンクが体にしみますよね!

さて、現場の進捗ですが橋梁部の施工は完了しました!右岸・左岸ともに道路部の施工は順調にすすんでおります。

そして先月、8月17日には近隣住民の方を招いて新柳井原橋の開通式典が催されました。



弊社としては、近隣住民の方々に喜んでいただけるように記念品やジュースを贈呈したり新柳井原橋までの送迎など開通式のサポートをさせていただきました。




よって8月17日より新しくできた新柳井原橋を通行するようになりました!!

また、重大なお知らせといたしまして、この工事の施工に伴って以前の交差点付近から下原船穂線の一部を車両通行止めにしております。

その為、船穂⇔真備方面・倉敷大橋への自動車やオートバイ等での通行ができません。

近隣住民の方をはじめこの道を通行されていた方々には大変ご迷惑ご不憫をおかけいたしますがご理解・ご協力くださいますようお願いします。





ここで工事現場付近の昔話、、、

その昔、高梁川は高瀬舟といった舟で新見のあたりから玉島港までこの地域の産業や交通の動脈となり約400年もの間人々を支えていたそうです。

この地域で高瀬舟が栄えたのは特に備中松山藩主 水谷勝隆が水運に力を入れていたからだといわれています。

その中でも工事現場の近辺である船穂地区は高瀬舟を高梁川と玉島港をつないでいた高瀬通しとよばれた運河のようなものがあります。

この高瀬通しは2つの水位の調節を行う為の閘門(水門)を設けて運用されていたそうです。

そのうちの1つである「一の口水門」が現在通行止めのバリケードをしているすぐ近くにあります。(上の船穂側とある写真のすぐ近くです。)




この水門は今から370年以上も前に完成しており、同じような仕組みであるパナマ運河よりも約240年も前から運用されていたみたいです。

建設業で働く1人としてもこのようなものがずっと古くから存在していて残っていることに凄さを感じます。

近くに訪れた時にちょっと寄り道して見てみてはどうでしょうか?

また、この度開通した新柳井原橋の親柱の1つは高梁川の水運を支えた高瀬舟がモチーフになっていますので通行の際はご覧になってください!!


それでは、今回のレポートは以上になります!次回の更新をお楽しみに!!


現場レポート